パラオを勉強しよう。

ダイビングのレポートの前に、少しパラオのご紹介をしましょう。これから行くところを少しでも知っているのと知らないとでは、楽しみや感激がとても違って感じると思います。

参考:パラオ政府観光局 http://www.palau.or.jp/index.html

パラオmap.jpg

どこにあるか意外と知られてない気がします。おおざっぱに言うとグアムとフィリピンの間にあり、フィリピン寄りと言ったところでしょうか。

地図上の真ん中あたりのコロール島のコロールが以前は首都だったので、銀行やホテルなど商業的なにぎやかな中心地はコロール島になりますが、2006年10月からバベルダオブ島のマルキョクと言うところが首都で、パラオ国際航空もこの島になります。

・パラオは200ほどの島で構成されてますが、人が住んでいる島は10に満たないそうです。ほとんど無人島ですね。ダイビングの途中の昼食は無人島でたべることが多いです。これも楽しいですね。。。

 

・通貨は米ドルで、一般には日本語は通じないが、レストランなど日本人がやっているお店が多いのでそんなに不便は感じません。

 

・日本時間と同じで時差はありませんが、グアムで乗り換えの時、グアムは1時間プラスの時差があるので、気をつけないと乗り遅れるかも。。。(ちゃんと意識して乗り口ゲートに行くか、時計を合わせることをお勧めします)

 

・気候は熱帯気候で、年平均温度は27℃と温暖です。7月と10月の雨量が多く、年間雨量は3800mmlくらいです。

 

【歴史の概略】

・1885年にスペインの植民地になり、ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘で現地パラオ人の90%ほどが死滅したそうです。

・1899年に国力衰退の一途をたどっているスペインはグアムを除くミクロネシアのスペイン領を450万ドルでドイツに売却し、パラオもドイツ植民地になりました。ドイツはココナツやタピオカの栽培や鉱石採掘などの産業振興を行いましたが、道路や水道などのインフラ整備や現地人への教育などはほとんど行いませんでした。

・1914年に第一次世界大戦のとき、日本海軍がドイツ守備隊を降伏させ、ここを占拠しました。第一次世界大戦の戦後処理で、パラオは日本の統治領になり、多くの日本人が移住しました。

・日本の統治になってからは、病院や学校、道路などインフラの整備も重点的に行われ、1920年ころにはコロールは近代的な街並みと姿を変えていったのです。また日本語による学校教育が現地人に対しても行われるようになりました。

・第二次世界大戦(太平洋戦争)が始まりパラオのペリリューの戦いでは両軍に多くの戦死者を出したが、日本軍の特別な計らいでパラオ民間人には一人の死者も出さなかった。アメリカの統治が始まり、反日教育を行ったが全く浸透しなかったそうで、現在も大変に親日的であります。もっとも現在はアメリカに次いで日本はパラオに莫大な資金援助を行っているのです。

・1947年にアメリカ合衆国はパラオを統治下に置き、今度は英語による学校教育と思想教育が先住民に対しても行われるようになりました。

・1994年10月1日に国連による統治も終了しパラオ共和国として完全に独立しました。統治領としては最後の独立となったのです。

 

 

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