私のスキューバダイビングのきっかけ

僕は、小さい頃から海が好きで、毎年夏は海に行っていた。
小学校の頃は、千葉県の岩井に祖父の別荘があり、兄弟や従兄弟達と
夏休みはそこで過ごした。

地引網で、今では考えられないほどたくさんの魚が取れ、
鰯なんかはバケツにいっぱいただでくれた。

新鮮な鰯を塩焼きにしたり、食べきれない分は三枚におろし、
昆布とお酢でしめて、次の日にお寿司にしていただいた。

海は好きで、波の音、海のにおい、海からの風、
どれもみんな気持が良かった。

とくに、朝早くの海岸の散歩は、海もきれいだし、
小魚がいっぱい波際に泳いでいるし、

海岸にはいろんなものが打ち上げられていて、
まるでそこは宝箱のような海岸だった。

そんな僕ですが、泳げるようになったのは小学6年の臨海学校で
ひょっとしたきっかけで、ふっと泳げるようになり、
ますます海が好きになった。

高校大学では、海でナンパをしながらも、
素もぐりでサザエなどを採ったものだった。
その頃は、まだそんなに厳しくなかった時代でしたが、
最近は、そんなこと全然できる事ではありません。(キッパリ!)

はじめて、スキューバ・ダイビングをしたのは、小笠原でした。

28歳のときでした。

私が担当していたお客様と親しくなり、同じような歳という事もあって
よく、千葉県南房総の竹岡というところで素潜りをして遊んだものでした。

そんな事をしているとき、小笠原の話が出て、
一人を除いてみんなスキューバーダイビングをした事の
無いものばかりでしたが、

「オゥ!行こう!行こう!」という事になりました。


小笠原にはまだ、プロショップはもちろん
エアーステーションなるものが無くって、
駐在所のおまわりさんがアルバイト的にやってくれて、
器材とタンクなどを貸してくれただけでした。

貸してくれただけというのは、潜るのは僕たちだけで、ガイド無しという事です。

仲間の一人が2,3回、ダイビングをした事がある程度で、
あと私を含めた三人は、まったくの素人、
はじめてレギュレーターなるものをくわえて、
はじめて海の中で空気を吸う連中でした。

まづ小笠原に着いたら、やったことのない3人が、
1メートルくらいの浅瀬で、器材をつけて水中で泳いでみた。

4,5分やってたら、そのおまわりさんからOKがでた。

簡単な注意事項を言ってくれたが、
実際にやったほうが早いという事で
ダイビングポイントに向かうことになった。

早速、沈船を見に行こうという事で、ボートに乗ってポイントに向かった。

ボートから入るのも初めてだったが、映画などで見たことがあったので
それを、思い出しながら、バックロールでエントリーした。

我ながらうまくエントリーでき、自分自身かっこいいーっと思っていた(自画自賛)


そこまでは、とくに、問題はなかった。

エントリーしたら、リーダー役の少しの経験者がヘッドファーストでどんどん先に潜って行ったので、みんな我先にと潜って行った。

僕は耳抜きがスムースに出来てなかったが、どうにかついていった。

歳が、分かっちゃうけど、その頃は今のようなBCDという
浮力をコントロールできるものは無かったので、
今日のスキューバダイビングの目的の深さにあわせてウエイトを調整するのです。

今回は水深25mくらいを目標にしてましたので、5mmのウエットスーツに
ウエイトは2キロくらいでした。

当然、エントリー時点は浮いてしまいますから、
ジャックナイフダイビングで頭から潜っていき、
ひたすら潜るためにフィンクックを繰り返す事が必要なのです。

比較的順調に一気に潜っていきましたが、
水深20mを越えたあたりから耳抜きがうまく出来なくなり、
仲間から大分遅れを取ることになってしまいました。

しかし、初心者みたいなリーダーは自分の楽しみでいっぱいですから
私に気が付かず、どんどん行ってしまいました。

当然、まったくの素人のほかの人も私にかまわず、どんどん潜っていきました。

幸いそのポイントは、近くに大きな根がありましたので、私はその根の上のところで、待つ事にしました。

あと沈船まで残す所、深さにして数メートル先、
距離にして20メートル位のところに沈船は見えているのですが、
耳抜きが出来ずそこにじっとしていましたが、

そのとき私の目の前、いや、私に向かって大きな回遊魚の
ハタがす~っと私にぶつかりそうに泳いできたのにはマジ、ビックリしました。


友達がダンクの泡をきれいに出しながら沈船に潜っていく姿を
いいなぁー、映画みたいだなぁと思いながらみていました。


やがて、彼らが沈船見学を終わってもどってきました。

合流して浮上する事になった。 しかし。。。。!

これからが大変な結果になった!

先ほどお話したように浮力をコントロールするBDCなるものは
世の中に存在してない時代ですから、

それに、レギュレータを使うのもはじめての人間ですから、
知らぬはホトケ!とはよく言ったものです。

ウエイトは2キロでフィンキックしてヘッドファーストで
潜っているのですから帰りは、
空になったタンクと2キロしかないウエイトでホバリングもできず、
どんなにしたって、急浮上になってしまいます。

ましてやズブの素人ですから結果はひどいものでした。

海底から、上を見ながら浮上していき、海面が見えたかなぁ~と思った瞬間、
マスクの中でバッ!と、血が飛び散りマスクの中が赤くなったと思ったら
あっという間に海上に吹き上がって浮上!(^_^;)


もちろん、5mでの安全停止などできる状態では無かったですね。

中には耳から血を流しているのもいました。

そんな私ですが、ダイビングについて何も勉強してなかったので
これがダイビングか~ぁ、などとのんきな事を言ってました。(^_^;)

ダイビングの認定書など必要の無かった時代でしたから。。。(汗)
(本当は必要だったらしい。。。。)

それから、しばらくは仕事も忙しい事もありダイビングはやってませんでしたが
6年ほど前から、昔を思い出しダイビングを始めて、
いかに知らない事とはいえあまりにも無謀な事をしていたんだと、
驚いたしだいです。

今では絶対にありえない話ですが、
皆さんに安全に楽しくスキューバダイビングをしていただくために、
少しでもお役に立てるようこのサイトを立ち上げる事にしました。

私もまだ未熟者ですが、皆さんと一緒に、楽しいスキューバダイビング
して行きたいと思いますので、よろしくお願いします。

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